沖縄は本土復帰から50年にあたる慰霊の日を迎えました。コロナ危機は一時期に比べると落ち着いてきましたが、まだ下げ止まり状態です。とくに沖縄では新規感染が多く、人口当たりの感染者は高くなっています。
沖縄に駐在していたとき、はじめて知ったのが、「医介輔」の存在です。沖縄戦で壊滅的な被害を受けた沖縄では、病院はもちろん医師が極端に不足していました。そのため当時のアメリカ軍政府は医師の自由な開業を禁止し、公務員として非常事態に対応したということです。
さらに一定の治療行為を特別に許されたのが旧日本軍で衛生兵として従事させられた人たちなどで、「医介輔」と呼ばれました。1951年には試験が実施され、奄美も含めた126人の医介輔が誕生し、離島でのへき地医療などに活躍しました。
1972年に沖縄が本土復帰すると医介輔の身分が問題となります。医療事情は改善されましたが、いまだに医師がいない地区も多く、特別措置法によって医介輔の制度が続くことになりました。
復帰時点で医介輔は49人いましたが、最後の医介輔だった方が高齢を理由に2008年に引退し、医介輔の制度は消滅しました。
今回のコロナ危機でいちばん問題になったのが医療提供体制です。病床数は多いのに医師など人材が足りず、受け入れができない事態も起きました。医介輔が頼りにされた時代とは違うはずなのに課題を突きつけられました。
もちろん多くの医師が献身的にコロナの治療にあたりました。また貢献したくても通常の診療に追われたり、小さな医療機関では感染症対策が十分できないため対応できない医師も多かったとききます。
政府の有識者会議は、病床を確保するため医療機関への行政権限を強化するよう求めています。医療提供体制の見直しは将来に向けて取り組まなければならない最大の課題だけにしっかりした検証が必要だと思います。