元藤沢市議会議員 清水竜太郎 オフィシャルサイト

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情報公開請求で藤沢市の校則が明らかに

藤沢市の市立中学校では、文部科学省がホームページで公開するよう求めている校則・学校での決まりを公開しているのが、御所見中学校だけであることは以前、お伝えしました。

校則には、その学校がめざしている学校像やその学校の雰囲気が反映されていると思います。昨今、不登校が増えていますが、理由の一つにこうした「雰囲気」も無関係ではないのではないかと想像します。

さらに最も大事なのが情報公開の観点です。学校は小さな集団であり、場合によっては閉鎖的になりがちです。地域とのかかわりを強める取り組みも進んでいますが、たくさんの目で見れるよう外部へ情報公開する姿勢が何よりも学校をオープンにします。文部科学省の狙いもここにあるにもかかわらず、校則の公開が全くと言っていいほど進んでいないのは由々しきことだと思います。

そこで藤沢市教育委員会に中学校の校則を見せてほしいと申し入れたところ、それならば情報公開請求の手続きを踏んでもらいたいと即答されました。話を聞いてみると校則について考える担当者会議に参加はしているものの、すべての校則を把握しているわけではないということでした。7月5日付で請求を行ない、およそ1か月後、請求した18校の資料を受け取ることができました。

校則が細かい学校と簡潔な学校

校則を分析しますと校則が細かくて資料が分厚い学校と校則が簡潔で資料が薄い学校に分かれることが判ります。細かい学校は▲六会中学校、▲長後中学校、▲善行中学校、▲大庭中学校です。

逆に簡潔な学校は▲片瀬中学校、▲鵠沼中学校、▲秋葉台中学校、▲湘南台中学校です。明治中学校は生徒手帳での決まりしかありません。

校則が細かいことは一見、厳しいということになりますが、校則が簡潔であっても、文字として書かれていないだけで実際は厳しかったりすることもあり得るので、どちらが適切かという訳ではありませんが、その学校の雰囲気は伝わってきます。

「頭髪」と「靴下」の禁止事項が柱

様々な校則の内容のうち、ほとんどの学校で規定しているのが「頭髪」と「靴下」についてです。ほとんどの学校で私服ではなく、制服を着ることになっている中、違いを出せるとしたら、「頭髪」と「靴下」、それに女子ならば「スカートの長さ」くらいになります。19の学校のうち、15校が「頭髪」に関する具体的な規定を設けています。だいたいが髪の脱色・染色やパーマ、過度な刈り込みを禁じています。また整髪料を使うことや化粧、アクセサリー類も禁じている例が多くなっています。髪を結ぶゴムの色まで規定している学校も多いです。中には「著しい異装・化粧・染髪・脱色など周囲に迷惑を及ぼす場合は家庭に帰って直してから登校する」と強い口調の学校もあります。

これに対して大清水中学校は「すっきり、さっぱり、きれいをこころえましょう」となっています。また藤が岡中学校は「自然な髪形とする。気になる髪型の場合、学年生担と相談する」としています。鵠沼中学校は「学校生活にふさわしいものか考え、活動の目的に適しているか、清潔であるか、不快感を与えないか守ろう」としているほか、湘南台中学校は直接的な言及がありません。

「靴下」も18校が規定を設けています。だいたいが色に関するもので、白・黒・紺・茶・グレーなど地味な色にするよう求めています。中には、靴下の長さを図説を用いて解説している例も見られます。一方、秋葉台中学校だけ直接的な規定がありません。

「肌着の色」や「スカートの長さ」の規定も

肌着や下着の色に関しては全国的に問題になりました。藤沢市では、ワイシャツやブラウスの下に着るインナー、つまり「肌着」の色まで定めている学校が19校中、17校もありました。
鵠沼と藤が岡中学校には規定がありません。多くが黒や紺、灰色、白色などとしていて、派手な色や柄の入ったものを禁じています。

女子の「スカート」の長さを規定している学校も多く、「膝にかかる程度」などとなっています。16校が規定しており、中には「ミニスカートはいけない」「短くしてはいけない」というやわらかい表現もあります。規定がないのは明治、村岡、湘南台中学校です。

数は少ないですが、「着替え」や「トイレ」に関する規定を設けている学校もあります。驚くのはいまだに着替えは、男子は教室で、女子は専用の更衣室のみならず、多目的教室などを使っている例もあることです。いまの時代、更衣室はちゃんと整備すべきだと思います。「トイレ」の使い方については、「トイレットペーパーを無駄遣いしない」「着替えでは使わない」とした例もあります。

「かかとを踏むな」や「整列の仕方」も

ほとんどの学校が「持ち物」と「水筒の中身」について規定を設けています。禁じられている「持ち物」は、具体的に携帯電話やスマートフォン、音楽プレイヤー、お菓子、ゲーム機など不必要なものとなっています。

携帯電話やスマートフォンは、理由があったり、やむなく持ち込んだ場合は、教師に預けるよう求めている学校が12校に上ります。禁止しているのは5校です。一定のルールは必要ですが、緊急の連絡や安全の観点もありますので、もう少し緩和してもいいのではないかと思います。
必要のない現金も同じような形で、持ってきた場合は教師に預けるよう求めています。腕時計など時計類を禁じる学校もあります。

ほとんどの学校で「水筒の中身」を水やお茶、そしてスポーツドリンクに限っているのも特徴です。中にはペットボトルでの飲み物を禁じる学校もあります。登校するときの昼食以外の買い食いも禁止の学校も多いです。

少数ですが、「靴は運動靴でなければならない」「上履きのかかとは踏んではいけない」「貸し借りをしてはいけない」とする学校もあります。さらに「集会での整列の仕方」や「掃除へのとりくみ」に関する規定も見られます。

興味深い例として滝の沢中学校は、「いじめやいやがらせ、おどしを受けたときは教師に必ず連絡する」「けんか、いじめ、けがなどの場面に出会ったらすぐに教師に知らせる」としています。またSNSの使い方について注意を呼びかけている学校もあります。

〝学校は「ひとつの社会」〟

校則の中に「あいさつ」に関する規定がある学校は14校に上ります。その中のいくつかの学校には「学校はひとつの社会」であるという考え方が明示されています。

▲「学校は社会」「だれもが気持ち良く生活できるように決まりがあり、守らなければならない」「授業はあいさつで始まり、あいさつで終わる。昼食は全員が、いただきますで食べ始め、ごちそうさまでしたで終わる」「大きな声で自分からあいさつ、返事をしよう」

▲「社会には決められたルールと社会通念上のルールがあり、集団のために存在している部分も多々ある」「大人になってからルールを守れないと大変苦労する。中学生のうちにルールを守る素地をつくり、集団の中で生活していく習慣を身に着けよう」

▲「学校は一つの社会だ」「見た目も考え方も性格も違う人と共同生活する」「社会にはみんなが気持ちよく生活できるよう決まりがある」「決まりは守らなければならない」「自分から進んで大きな声であいさつし、呼ばれたら、はいと返事する」「すべての活動はあいさつで始まり、あいさつで終わる」

▲「気持ちの良い学校生活を送るため、あいさつを心掛けましょう。友達や先生などに大きな声で自分から積極的にあいさつしましょう」「学校は社会生活を学ぶところということをしっかり認識し、社会に出ても通用する人になることができるよう学んでください」
▲「学校はひとつの社会だ」「社会には決まりがあり、決まりが守られない社会は過ごしにくい」「あいさつは生活の基本であり、おはようございます、こんにちわ、さようならのあいさつをしよう」

大清水中学校のケース

制服がないことで知られる大清水中学校ですが、あいさつについては、授業の始まりと終わりにはきちんとあいさつしましょうと書いているほか、「あいさつは学校生活を明るくし、お互いの心をなごませます」と指摘しています。

「心得」の中で大清水中学校は、「自由な学校をめざしている」としつつ、「自由とは単にルールが少ないという意味ではない」と指摘した上で「一人一人が自分の責任を果たすこと」を求めています。
そして「心得」が最小限である点について、「自分で判断する力、自主的に行動できる力を身につけてほしい」からだと説明しています。

藤沢市教育委員会は、教育目標として「未来を切り開いていくことができる生きる力にあふれた子ども」「子どもたちに学力の基礎の定着を図り、安心して共に学び、共に育つ学校」をめざすとしています。

大清水中学校の例は、学校はひとつの社会だと強調するのとは違い、自由と責任について問いかけている点が印象的です。またいわゆる校則が少ない理由が、教育委員会が掲げる目標にも合致している点も納得がいきます。

藤沢市の市立中学校の校則が果たして21世紀にふさわしいものなのか、ほんとうに生徒の意見が反映されているのか疑問に感じます。教育委員会は各学校に任せていますが、校則の公開をはじめ、もっと積極的に話し合うべきだと思います。

学校則

 

真鶴町のリコールに見る市民活動

神奈川県の真鶴町は風光明媚で有名ですが、いま町政が混乱しています。市民グループが町長の解職請求・リコールを求めて必要な署名を集め、来月24日に住民投票が行われる予定です。

発端は現職の町長がまだ職員だったとき、選挙人名簿を不正にコピーして持ち出して、選挙に利用したというものです。町長はおととし一旦辞職しましたが、いわゆる出直し選挙に急きょ立候補して再選されました。

これに対して市民グループがたちあがりました。リコールに向けた署名活動を開始し、2400人を超える署名を提出しました。町の選挙管理委員会は有権者の3分の1を超える2350人分を有効と認め、住民投票が行われることになりました。投票の過半数が賛成すれば、町長は失職します。

わたしも地方政治にかかわってきて、環境、教育、都市計画など様々な問題について提起してきました。市民の方々から賛同もいただきましたが、わたしの力不足もあり、なかなかまとまった動きには至りませんでした。まちの規模が大きくなればなるほど声を上げるのは難しい面があります。しかし小さければ小さいほど逆に難しい面もあります。

同じ神奈川県の藤沢市にほど近い真鶴町で、リコール運動が行なわれ、市民が直接政治に関わろうとしていることに驚きました。何が市民グループを突き動かしているのか知りたくなり、元地方政治家として、またファクトチェックを行なうNPO「インファクト」のデスクとして「真鶴の未来をつくる会」の青木嚴会長をはじめ役員の方々にインタビューをお願いしました。※以下、敬称略。


清水:
リコールに向けた署名集めをはじめ、活動を始めることは大変だったと思いますが、最終的に住民投票ができる署名を集めることができました。活動はどのように進めていったのですか。

つくる会:
最初はここにいる役員ら5、6人で始めた。まずはリコールの仕組みが複雑なので説明するのが大変だった。分かりやすい説明をつけたチラシを作って、折込に入れてもらったほか、説明会を繰り返し開いた。
署名を集める期間は一か月しかないうえ、署名を集める「署名収集受任者」を募集しなければならない。200人程度が受任者になってくれたが、負担をかけるわけにはいかないので、何人集めるなどノルマはかさなかった。
署名集めも法律で細かく決められているので、しっかりと法律にのとって集めるよう徹底した。最初のころは集まりも良くはなかったが、一定の時間が経つと急速な広がりを見せていった。

清水:
活動はどのような思いで進められたのですか。

つくる会:
議会や警察などあらゆる手段に訴えてきたが、最後の手段がリコールだった。町民の声、メッセージを届けたいという思いしかない。それは、混乱を招いたいまの町長が辞めてほしいということだ。一連の不正にちゃんと向き合って反省してほしい。役場も大量の職員が辞めて、組織としておかしくなっている。公共サービスにも影響が出ている。いまの町長である限り町は新しく出発することができない。

清水:
問題があっても市民が立ち上がることはなかなかできません。みなさんのように立ち上がるのは貴重なことだと思いますが、一方でしがらみも強いのではないかと思いますがいかがですか。

つくる会:
政治的な分断を指摘する声も一部報道であるが、例えば地域での分断もない。われわれはあくまで市民派であり、町をよくしたいという気持ちが原点だ。このままでは教育にもよくない。子どもたちにいまの状況を説明することもできない。

清水:
真鶴町と言えば独自の景観条例がありますし、かつて湯河原町との合併を拒否したと聞いています。町としての自負が強いことも市民活動に関係しているのかと思いますがいかがですか。

つくる会:
町のアイデンティティが関係しているとは感じない。若い人たちは一旦、町を出て都会に出ることが多いが、多くが戻ってくる。豊かな自然などいまの真鶴町がいい、このままの町であってほしいという声が多い。そういう若い人たちが出身地を言いづらい思いをさせるのは申し訳ないことだ。いまの町の状況をそのまま受け渡すわけにはいかない。

清水:
これからどのように住民投票や町長選挙を迎えたいと思いますか、またどのような町をつくりたいですか。

つくる会:
この人を町長にしたいという候補はいるのかと聞かれることもあるが、われわれが関わることではない。われわれの目的は、もとの真鶴町に戻して、そこから出発し直すことだ。過疎対策とか重要な問題もあるが、それはわれわれの関わるところではない。

清水:

ありがとうございました。

 

政治はどうあるべきか、模索する日々ですが、神宮外苑の再開発をめぐる市民活動にはじまり、東海道線事故におけるネット上の情報拡散、そして真鶴町のリコール運動と立て続けに行動する市民の方々に出会うことができました。わたしは立ち上がった市民の方々の姿に感銘を受けると共に希望を取り戻した思いです。この度はお忙しいところをインタビューに応じてくださった「真鶴の未来をつくる会」の青木嚴会長をはじめ役員の方々にお礼申し上げます。

真鶴町

真鶴町

真鶴町

想定される6つの地震

今後30年の間に70%の確率で起こると言われるのが「首都直下地震」です。2万人を超えると想定される死者のうち7割が火災によるとされています。東京の場合、木造住宅が密集している「木密地域」での火災が懸念されています。また地震発生から数日後、停電が回復したときに発生する「通電火災」も注意が必要です。

神奈川県は想定される地震を6つの絞ってそれぞれ想定被害などをまとめています。▲「首都直下地震」は、マグニチュード7.3の「都心南部直下地震」として記載されています。直下型としては被害は最も大きく、藤沢市でも全倒壊が650棟、死者が30人と想定されています。

▲「三浦半島断層群の地震」はマグニチュード7の地震です。発生確率は高くはありませんが、藤沢市では全倒壊が320棟、死者が20人と想定されています。
▲「神奈川県西部地震」はマグニチュード6.7の地震です。藤沢市には最大で3メートル以上、5メートル未満の津波が来ることが想定されています。全倒壊は10棟ですが死者は50人とされています。
▲「東海地震」は駿河湾を震源とするマグニチュード8の地震です。藤沢市には最大で3メートル以上、5メートル未満の津波が予想されています。全倒壊は40棟、死者は20人とされています。
▲「南海トラフ地震」は駿河湾から宮崎県の日向灘沖にかけてのプレート境界を震源域とするマグニチュード9の地震です。藤沢市には最大で5メートル以上、10メートル未満の津波が想定されるほか、全倒壊は160棟、死者は40人とされています。
▲「大正型関東地震」は相模トラフを震源とするマグニチュード8.2の地震で、発生確率は高くはありませんが、最大規模の被害が想定されています。想定される津波の最大の高さは5メートル以上、10メートル未満で、全倒壊は2万8000棟余り、火災は120か所、死者は3200人を超えるとされています。

地震による主な被害は、建物の倒壊による圧死、津波による溺死、そして火災や土砂崩れであることを考えれば被害を減らすための準備にすべてがかかっていることは明らかです。

建物の耐震化促進を

藤沢市では住宅の耐震化率の目標を95%に掲げていますが、去年は90.7%となっていて、なかなか進んでいません。とくに木造の戸建ては83.3%にとどまっていて、戸数としては2万戸の耐震性が不足していることになります。藤沢市では耐震化に向けた補助制度を設けており、対象にはダイレクトメールを行なうなどしています。しかし例えばお年寄り住まいでは、住宅の改築も難しいと思いますので一部の部屋などを耐震化する「耐震シェルター」の活用も検討してほしいと思います。
また盲点となってるのが不特定多数が利用する建物です。学校や病院、福祉施設、商業施設、工場などが対象で、こうした建物には耐震診断を行なう義務があります。

藤沢市への報告によりますと震度6強から7の地震が発生した場合、▲倒壊する危険が高いとされたのが、「フジサワ名店ビル」、「藤沢プライム」、それに駐車場などが入っている石上の「神中第三ビル」などです。また▲倒壊の危険があるのは「ホテル法華クラブ湘南・藤沢」です。いずれも改修などを明らかにしていますが、大がかりであるだけにすぐとは行かないのが実情です。財政的な支援と共に利用客への周知が必要だと思います。

新たな津波対策を

長い海岸を抱える藤沢市としては津波対策は欠かせません。藤沢市は発生確率は低いものの、最大限の津波に対応するため、相模トラフを震源とするマグニチュード8.7の地震、「相模トラフ沿いの海溝型地震(西側モデル)」を想定しています。第一波の到達時間は6分で、最大11.5メートルの津波が12分後に湘南港海岸に来るとしています。

藤沢市は避難ビルを確保するため140件と協定を結んでいます。しかし避難ビルは国道沿いなどに集中していて、どうしても避難が間に合わない空白地が存在します。津波による死因の9割が溺死です。支援が必要な方々もいることから、これまでのように「津波から逃げる」ことが第一ですが、「津波に巻き込まれた場合」の対応についても考えるときだと思います。

その一つがライフジャケットの可能性です。研究機関の実験では、ライフジャケットを着けなかった場合、ダミーは水中に沈んでしまいましたが、着けた場合、頭部は水上に浮かび続けたことが判っています。東北大学では民間と協力して津波用のライフジャケットを開発しています。頭部をがれきからどう守るのかなど課題はありますが、研究していく価値はあると思います。

関東大震災

関東大震災から100年 神奈川県の被害は

9月1日は関東大震災が発生してから100年になります。関東大震災ではマグニチュード7.9、現在の震度6強から7に相当する激しい揺れがあったとされます。死者や行方不明者は10万人を超え、明治以降では最大の災害となりました。

10万棟以上の住宅が倒壊したほか、火災の延焼がすさまじく、旧東京市の4割が焼失したそうです。

神奈川県の被害は甚大

関東大震災といえば、隅田川沿いなど都内での被害が思い起こされますが、実は震源が神奈川県西部だっただけに県内の被害も甚大でした。
神奈川県立歴史博物館では、特別展を開いていて、被害の実相が分かります。
神奈川県震災誌によりますと6万以上が全壊していて、火災で亡くなった方を中心に3万人以上が死亡したということです。

被害がひどかった横浜市では、関内地区が焼け野原になり、県庁も全焼しました。東京でも猛威を振るった火の竜巻、火災旋風も見られたということです。
津波も海岸線を襲いました。真鶴や三浦半島では6メートル、鎌倉から江の島にかけては3メートルの高さだったそうです。
あまり知られていませんが、丹沢から箱根の山地にかけて大きかった被害が土砂崩れです。いまの御殿場線も地震の影響で線路が寸断されたそうです。気象庁の資料によりますと台風の影響で土の中に水分がたまっていたことも土砂災害をひどくしたとしています。

直下型と海溝型に分かれる地震

わたしは新人のとき、取材したのが阪神大震災でした。神戸ではビルや家屋が倒壊し、焼け野原になった地区もありました。伝言を貼った紙があちこちに貼られていたのが忘れられません。一方で現地に入るとまちが壊滅しているというテレビでの印象とは違って、比較的新しい建物は倒壊せずに残っていることに驚きました。

震源が都市に近い直下型の地震は、いきなり突き上げるような大きな揺れが起こるのが特徴で、被害としては建物の倒壊と火災の発生が挙げられます。このため最も重要な対策は建物の耐震化を進めることとなります。
もう一つ大事なのが都市計画です。藤沢市の防災計画にも明記されていますが、敷地の細分化を抑え、緑地などを確保することが防災上、重要です。
東日本大震災は阪神大震災とはまったく被害が違いました。さぞかし建物が倒壊したことだろうと思っていたのですが、内陸部の被害が比較的少なかったのに比べて、沿岸部は津波に襲われ、まちごとなくなっていました。

海のプレートの境界で発生する海溝型の地震は、地震の規模が大きく、小さい揺れの後、大きな揺れが起こるのが特徴で、しかも揺れが長く続きます。被害も建物の倒壊のほか津波を伴う恐れがあります。津波への対策は想定区域外に逃げるか、高台に避難するかということになりますが、支援が必要な方には厳しい面もあり、新たな対策が必要です。

関東大震災

東海道線事故 「災害」対応すべきだった

藤沢駅と大船駅のJR東海道線で列車が電柱とぶつかり、1時間以上、乗客が閉じ込められる事故が起こりました。この事故で横須賀線なども運転見合わせとなり、およそ15万人に影響が出ました。乗客ら4人がけがをしたほか、9人が体調不良を訴えたということです。
異例な事故であるばかりでなく、当日は茅ケ崎市や小田原市でも花火大会が開かれ、大勢の見物客が鉄道を利用していたという特別な事情がありました。加えて深夜とはいえ、連日の猛暑です。

東海道線は東京駅から熱海駅まで運転が見合わせとなりましたが、事故にあった列車だけでなく、その前後の列車もしばらく列車の中に待つことになります。各駅で大量の帰宅困難者が発生し、混乱することは予想できたはずです。

帰宅困難者であふれる藤沢駅

わたしは零時を過ぎてから事故を知りましたが、「これは大変なことになる」と直感しました。災害ではありませんが、災害に等しい事故への対応が必要になると思い、藤沢駅に駆けつけました。案の定、駅は混雑していて乗客とみられる人たちが右往左往しています。わたしが駆けつけた時は、JRの担当者が、拡声器をもって私鉄などへの振り替え案内を行なっていました。担当者はまた、「藤沢市役所が開放されているので休憩できる」とも話していました。
駅の周辺はさらに混雑が広がっていました。疲れ果てて座り込んでいる方々がいました。そして北口も南口もタクシー乗り場に長い列ができていました。これまで見たこともない長蛇の列です。

藤沢市役所は開放されていた

タクシーを待つ長蛇の列をかいくぐって市役所を訪れました。一階のロビーが開いています。イスにおよそ40人が座って休憩していました。警備員の方に聞くと藤沢駅から開けてくれないか申し入れがあった、目途がつくまで開放する、もし人が溢れたら5階や9階のスペースも開放すると話しました。

こういう非常事態に市役所を開放して、帰宅困難者を受け入れるのは素晴らしい対応だと感じました。しかし何か様子が違います。藤沢市の職員らしき人を一人も見かけません。
わたしもかつて帰宅困難者だった

12年前の東日本大震災、わたし自身が帰宅困難者になった経験があります。都内で仕事を終えてから藤沢に帰ろうとしました。一刻も早く帰って、家族を守りたいという強烈な気持ちに突き動かされました。わたしと同じ思いなのか、歩いて帰宅しようという人々で道はいっぱいでした。寒い中、みな声も出さず、ただただ歩いています。

道沿いには自治体が運営する休憩所があって、身体を休めることができました。どれだけ有難かったか分かりません。多摩川を越えるころは人数も半分以下となっていました。横浜市に入ったころは「仲間」は数人となっていました。午前3時、さすがに疲れて横浜駅の地下街で休んで始発列車を待つことにしました。周りでは防寒用品が配られていて、わたしも大勢に交じって雑魚寝しました。

ツイッターでの呼びかけ

再び藤沢駅に戻りましたが、午前1時を過ぎていて、すでに担当者はいません。それでも駅には次々と人がやってきます。気温も高い中、タクシーの列も一向に途絶える気配もありません。せっかく市役所を開放しているのに、それを帰宅困難者に知らせる人が誰もいないのです。お知らせの張り紙さえありません。

藤沢駅で係員にそのことを伝え、改札口に張り紙をするようお願いしましたが、一人で乗客に対応していて忙しそうです。北口のサンパール広場では、徹夜を決め込んだのか寝転んでいる方々が多くいて、市役所で休むよう声を掛けていきました。

しかし声掛けも限界があるので、ツイッターで「藤沢市役所が開放されているのに知られていないので拡散してほしい」と訴えました。すると見ず知らずの人たちが答えてくれました。たくさんの善意の気持ちに心が温かくなりました。午前4時過ぎに「東海道線が午前8時ころに運転再開となる」と発表されました。

今回は「災害」対応すべきケース

藤沢市がJRからの要望を受けて市役所を休憩所として開放したのは英断だったと思います。しかし厳しく言えば「開放しただけ」で、帰宅困難者に利用してもらおうと積極的に動いたわけではありません。
帰宅困難者への対策は、防災安全部が取り仕切っていて、災害が発生したとき、藤沢駅周辺では▲市役所をはじめ、▲市民会館、▲秩父宮体育館、▲藤沢公民館、▲神奈川県藤沢合同庁舎を使うことになっています。このほか民間の施設としては、藤沢商工会館とスポーツクラブNAS藤沢と協定しています。

わたしの違和感は当たっていました。藤沢市に聞きますと今回、市役所を開放すると許可したのは建物を管理している財務部の管財課であって、災害対応を行なう防災安全部ではなかったのです。だからこそ担当の職員が出てきて、帰宅困難者の誘導を行なうこともなく、飲食物やブランケットなど備蓄用品も提供されなかったのです。
これについて藤沢市では、事故によるけが人などが少なかった上、被害が拡大する二次的な災害にも当てはまらなかったためだと説明しています。つまり災害とまではいかないからという訳ですが、わたしは今回は「災害」に準じる行動が必要だったと考えます。

藤沢市こそ積極的に動くべきだった

事故が起きた場所は、鎌倉市内で、乗客は歩いて大船駅に誘導されました。当日の大船駅は藤沢駅以上の混雑ぶりで、帰宅困難者にあふれていたようです。事故が起きたのは確かに鎌倉市ですが、実はほぼ藤沢市なのに気づきます。市役所の本庁舎の位置を考えれば、鎌倉市より藤沢市の方がずっと近く、対応しやすいことも分かります。

もう一つ、重要なことがあります。藤沢駅と大船駅の間と言えば、神奈川県と鎌倉市と藤沢市が負担してJRが設置する「村岡新駅」が計画されているところです。新駅の設置については必要性が明確ではないとして疑問視する意見もあります。鈴木市長が本当に事業を進めたいなら、もっと積極的に動くべきだったと思いますし、もっとここでの事故に敏感であるべきだったと思います。鎌倉市と連携しつつ、小型のバスを借り上げて藤沢市役所に往復輸送するくらいの気構えがあっても良かったのではないでしょうか。

藤沢市は、今回のような市役所開放など広報面の周知を徹底したいほか、JRとの連携について改善していきたいと話しています。今回の事故では事故原因ばかりが注目されていますが、災害に準ずる帰宅困難者対策について改めて検証すべきだと思います。

帰宅困難者

帰宅困難

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