戦後70年を迎え、藤沢市の鵠沼市民センターで戦時中の鵠沼の様子などを伝える展示会が開かれています。これは地元の歴史を語り継ごうと活動しているグループが開いているもので、当時の資料や写真などが展示されています。東京や横浜市、それに平塚市が受けたような空襲はありませんでしたが、軍需工場として稼動していた辻堂の特殊鋼メーカーの本社工場や鵠沼神明にあるベアリング大手の工場などが攻撃されたということです。また住民に対しても空からの機銃掃射があったということです。
また江の島では来たる本土決戦に備えて、西側に2つの大砲が設置されたほか、東側には機関砲があったそうです。さらに軍事物資が乏しい日本は、鉄を回収するため、当時は複線だった小田急片瀬江ノ島線が、一時期、単線にされるなど、鵠沼でも戦争の影響下にあったことが判ります。